在这部因幡之白兔短片片中,1936年名古屋市生まれ。ユ58年多摩美術大学油絵科卒業。ユ62年よりゼロ次元儀式行動を始め、ハプニング・グループとして60年代を中心に活動する。全国に300人以上のメンバーを持ち、人間の行動をゼロ時間=無為へと導く主張して活動した。ユ62年の「集団混合図式-踊る男の0時間」や、ユ63年の「ナンセンス儀式」(街頭でメンバー20名が四つん這になってのデモ行進)などもっぱら性的タブーに触れるようなアナーキーな月例「儀式」活動を街頭で行った。同時期に注目されたネオ・ダダイズム・オルガナイザーズや九州派、時間派と並んで「反芸術」の旗手とされるが、その中でも最も過激で反逆的であった集団。ユ69年より万博破壊共闘派の活動に入り、大阪万博粉砕を叫び、全国で学園闘争と連動しながら儀式としてデモ活動を行い、反博芸術を推進。ユ70年に「猥褻物公然陳列罪」で逮捕されてから、パフォーマンス集団としての活動は縮小。本職は画家であるが、ユ71年映画「いなばの白うさぎ」(監督)を完成。ユ72年からインド・ネパール巡礼後、ユ77年夢タントラ研究所を設立、第四門構図を発見する。ユ90年よりニューヨークへ移住し、襖絵による夢物語「ペニスをつけた女達」を制作、ユ98年帰国。現在、著者「ブルックリン夢解読日記」を執筆中。